市町村・地名の由来
【岐阜市周辺】
注)市町村再編前の地名も含まれています。
いじら
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大昔は石が多いことから、石叢(いしむら)と呼ばれていた。
それが大和朝廷の時代には、伊自牟良(いじむら)になり、何百年も経つ間にムの音が落ちて、
伊自良(いじら)となった。
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伊自良
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いとぬき
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平安時代の「伊津貫川(いつぬきがわ)」が、江戸時代には「糸貫川(いとぬきがわ)」と変化していった。
昭和30年、一色村(いっしきむら)と土貴野村(ときのむら)が合併した際、
その中央を流れる糸貫川にちなんで糸貫村が誕生した。
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糸貫
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かかみがはら
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【説1】各務とはもともと鏡のこと。鏡のように平らな台地であったことから。
【説2】古代、この辺りに鏡作部(かがみのつくりべ)が住んでいたことから。
いずれにせよ、700年代(大宝の頃)から、すでに各務郡であった。
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各務原
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かさまつ
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地形が、笠(かさ)のように盛り上がった松に似ていることから。
中世の戦国時代の頃から、笠町(カサマチ)と呼ばれ始め、その後江戸時代に、
長寿で縁起のいい笠松(カサマツ)村となり、明治23年には笠松町となった。
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笠松
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かのう
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新田開墾によって、後から領地として加えられた土地であることに由来。
鎌倉時代の記録には、すでに加納郷と書かれている。
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加納
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かわしま
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川の中にある島から。この地域は、木曽川から運ばれた土砂が堆積してできた中州の島である。
明治22年の合併で、川島村が誕生し、明治31年には川島町となった。
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川島
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きたがた
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生津荘(なまづしょう)の北の方にあったことから。生津荘は、この地方の中心的な荘園であった。
江戸時代から北方村、明治22年から北方町となった。
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北方
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ぎなん
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昭和31年に2つの村が合併した際に、岐阜市のすぐ南にある町であることから岐南町と名づけられた。
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岐南
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ぎふ
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中国の地名である「岐山」と「曲阜」を組み合わせたもの。
織田信長によって、命名された。
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岐阜
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しんせい
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昭和30年に、真桑村(まくわむら)と弾正村(だんしょうむら)が合併した際、真桑村の「真」と
弾正村の「正」を1字ずつとって真正村が誕生した。
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真正
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すなみ
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本巣郡の南に位置することから。昭和29年、川崎村、船木村、鷺田村の3村が合併したときに、巣南村が誕生し、
10年後の昭和39年には巣南町となった。
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巣南
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たかとみ
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高い富を願って付けられた地名。
織田信長の頃には、「高処見(タカトミ)」であり、豊臣秀吉の頃に「高富」となり、江戸時代には高富村となった。
明治の合併で高富町となり、昭和30年には、さらに4村と合併し、大きな高富町となった。
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高富
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ながら
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長く流れる川があり、肥沃な良い土地であることからついた地名。
「長良」の文字が出てくる最も古い文書は、織田信長の時代。
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長良
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ねお
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根尾村は白山山脈の麓にあることから、根尾と名づけられた。
尾根は山の頂きであるが、それをひっくり返した根尾は山の麓、すそ野という意味。
南北朝時代には、根尾の地名が出てきており、江戸時代からは根尾村となった。
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根尾
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はしま
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1897年(明治30年)に、羽栗群と中島郡が合併した際、羽栗の「羽」と中島の「島」を一文字ずつとって、羽島郡が誕生した。
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羽島
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ほづみ
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古代、穂積の姓を名乗る人々がこの地に移り住んだことから。
穂積氏は大和国山辺郡の穂積を本拠地とした氏族で、大和朝廷の身分の高い役人であった。
古代~中世にかけて本巣郡穂積郷、江戸時代には穂積村、昭和23年には穂積町となり、
昭和29年の合併でさらに大きな穂積町となった。
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穂積
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みずほ
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葦がしげり、稲穂がみずみずしく育って、豊かな国という意味を込めて命名された。
2003年に、穂積町と巣南町が合併し、瑞穂市が誕生した。
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瑞穂
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みやま
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人工林で美しく手入れされた山があることから。昭和30年の合併で、公募によって名前が募集され、委員会の投票で決定した。
その際、「美山村」と「美和村」の案が同数で残り、決選投票で「美山村」となった。
その後、昭和39年にはさらに発展し美山町となった。、
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美山
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もとす
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もとは川の洲であったことから。およそ1300年前の記録(大宝戸籍)には、「本簀(もとす)」と表記され、
その後十数年の間に「本簀」→「本須」となった。
本須とは、命を支えるすべて(須)の本という意味である。
その数年後には、鳥などが命を育むという意味の「本巣」へと変化した。
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本巣
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やないづ
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津は湊の意味。柳のある川湊(かわみなと)であったことから。
鎌倉時代には楊津(ヤナイヅ)、江戸時代からは柳津村となり、昭和31年に柳津町となった。
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柳津
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やながせ
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【説1】堤や岸を守るために、柳が川の瀬に植えられてきたことから。
【説2】古くから、簗瀬(ヤナセ)という方法(川の早瀬に簗をつくって魚を捕る方法)で魚を捕っていたため。
いずれにせよ、江戸時代には、厚見郡加納村の柳ヶ瀬という地名であり、明治22年に岐阜市となり、柳ヶ瀬町となった。
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柳ヶ瀬
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やまがた
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昔から山の方にある集落であったことから、もともとは山方(ヤマガタ)と表記されていた。
奈良時代になり、山方は山県と書かれるようになった。
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山県
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参考文献:岐阜県おもしろ地名考 著者:服部真六 発行:岐阜県地名文化研究会