市町村・地名の由来
【飛騨エリア】
注)市町村再編前の地名も含まれています。
あさひ
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明治8年に近隣の25村が大合併した際、「わが村よ。わが村人よ。乗鞍の朝日のように栄光あれ。」という願いから、朝日村と名づけられた。
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朝日
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おおの
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古代から、ずっと大自然の荒野であり広野であったことから。
「後風土記」には、「白山から見下ろすと、一望、ひろびろと広野のように見えたので、大野郡と名づけた」とある。
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大野
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おさか
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小さな坂が多いことから小坂と名づけられた。
室町時代の古文書にも小坂と記されている。
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小坂
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かなやま
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古い昔、鉄の鉱山があったことから。
平安時代には、すでに金山という地名であり、江戸時代には金山村、明治時代には金山町となった。
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金山
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かみおか
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奈良時代には、すでにこの辺りの山から金が産出されており、神の岡という意味で、神岡と呼ばれていた。
明治8年にこれまでの通称名から神岡村となったが、明治22年に船津町、袖川村、阿曽布村の3つに分裂してしまう。
それが、昭和25年に再び合併し、神岡町となった。
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神岡
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かみたから
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もともとは上高原(カミタカハラ)であったが、いつの間にかハの音が落ちて、カミタカラとなった。
明治8年の合併で、上高原(カミタカラ)村になるはずのところを、
だれもが間違いなく読めるようにと、高原(タカラ)を縁起のいい宝の文字に変えて、上宝村が誕生した。
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上宝
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かわい
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小鳥(オドリ)川と宮川の合流地点であることから。
明治8年の大合併で、河合村が生まれた。
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河合
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きよみ
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清らかな渓流を見ることができる村から。
明治8年に、近隣の29村が大合併した際、
すべての村に共通する特色は、美しい水の流れであった。
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清見
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くぐの
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「クグノチ(久々能智)の神」を祭る社(船山八幡宮)があったことから。
クグノチの神は、山の守り神で、木の神である。
古代は阿拝(アワ)郷といったが、中世から久々野郷となった。
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久々野
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げろ
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下留(ゲル)から転じた。
776年に、この地に下留(シモツトマリ・シモノトマリ)駅という役所ができた。
それがいつしか耳言葉が消え、文字だけが残り、人々は下留をゲルと読むようになった。
やがてゲルの音がゲロになり、室町時代の文書には「櫓(ゲロ)郷」と記されている。
その後、わかりやすい下呂と書かれるようになった。
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下呂
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こくふ
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飛騨国の国府があったことから。
国府とは、古代、一国ごとにおかれた国の役所である。
明治8年に国府村と命名され、昭和39年に国府町となった。
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国府
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しょうかわ
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明治8年に白川荘(白川郷)が二分された際、白川荘に流れる川(庄川)の名前から荘川村とした。
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荘川
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しらかわ
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白山から流れる清らかな水が白く見えたことから。
平安時代には、すでに白川荘と呼ばれていた。
江戸時代に白川郷となり、明治8年には、白川郷内の42村のうち、23村が大合併して白川村となった。
残りの19村は、荘川村と清見村になった。
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白川
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たかね
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高い尾根から。
村の北には乗鞍岳、南には御岳がそびえ、北アルプスの高い尾根が
ずらりと並んでいる。
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高根
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たかやま
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多賀山(タガヤマ)から転じて高山(タカヤマ)となった。
多賀山とは、今の城山公園の中にある小高い天神山のこと。
江戸時代には大野郡灘郷の高山とあり、明治時代には高山町、昭和12年に高山市となった。
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高山
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にゅうかわ
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村の中央に流れる小八賀(コハチガ)川を、万葉集の歌に出てくる丹生川になぞらえて、つけられた地名。
明治8年に近隣の32村が大合併し、丹生川村が誕生した。
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丹生川
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はぎわら
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古い昔、萩の原を開いて田畑や村里をつくったことからきた地名。
萩原の地名は、平安時代かそれ以前に生まれたとされる。
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萩原
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ひだ
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大昔からヒダと呼ばれていた。
ヒダの由来には諸説あるが、その中の1つに「山の谷が衣のヒダ(襞)に似ていたことから」という説がある。
飛騨という漢字が当てられ、飛騨国となったのは、日本書紀(720年)から。
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飛騨
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ふるかわ
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段丘や盆地といった古い川の跡地にできた集落であることから。
古代にあった深川郷が、中世に古川郷となり、江戸時代には城下町としての古川、明治と昭和の合併で古川町となった。
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古川
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ました
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位山から真下に吹く風を地元の人々はマシタ風と呼んでおり、そこからマシタという地名が生まれた。
後に、「益々田が増えるように」と縁起を担ぎ、益田(マシタ)という字を当てた。
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益田
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まぜ
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【説1】川沿いに集落が点在しており、そのような様子を表す「間瀬(マゼ)」が転じて、「馬瀬(マゼ)」となった。
【説2】「益田郡史」には、竜馬の瀬が馬瀬になったとある。
【説3】周囲の山が馬の背ににていることから。
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馬瀬
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みやがわ
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村を流れる宮川からとった地名。
宮川という川の名前は、この川の源流に飛騨国一の宮である水無(ミナシ)神社があることに由来する。
明治31年に、坂上村と坂下村が合併して、宮川村が誕生した。
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宮川
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みや(むら)
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宮のある村から。宮村には、飛騨の国の一の宮・水無神社がある。
南北朝時代には、すでに「宮」の地名があった。
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宮(村)
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よしき
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もともとは荒城(アラキ)群であったが、荒れた土地を連想させてしまうため、
「万事すべて吉き土地でありたい」という願いを込めて、吉城郡と改名した。
鎌倉時代の文書では、荒城郡と吉城郡の両方を使っており、江戸時代からは吉城郡に統一された。
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吉城
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参考文献:岐阜県おもしろ地名考 著者:服部真六 発行:岐阜県地名文化研究会